おもしろうてやがて悲しき青春の日々
こんにちわ ファンクです。
今回は、軽く昔の思い出話をします。
高校卒業とともに親元を離れ、博多での生活がはじまったのは、バブル景気がはじまる5年前の昭和56年の春でした。
それは社員寮で二階建ての古い木造アパートでした。
六畳一間に、会社の先輩と二人での共同生活でした。
その先輩とは、なぜか折り合いが悪くなかなかの居心地の悪さでした。
まぁ、普通に考えれば友だちでもなんでもない二人が、六畳一間という狭い空間に押し込められての生活だから、差し障りあって当たり前ですね。
新寮に移るまでのわずか一年あまりの共同生活でしたが、よく耐えたと思います。
当初、まだ車を持ってなく足として使っていたのは、田舎から持ち込んだ原チャリでした。
スズキハスラー50、そうあの人気車と同じ名前ですが、こっちがだいぶ先輩です。
その原チャリが唯一の足でした。
また、福岡市とその近郊には高校時代の友だちも多く、みんなの家に遊びに行っては、晩メシをごちそうになってました。
今思えば、ずいぶんとみんなの親に迷惑かけたものです。
その頃、友だちとの連絡手段は、職場か家へ電話をかけるしか手段がありませんでした。
直接、友だちが電話口に出るのはまれで、当然呼び出してもらうわけですが電話なれしてないせいもあり、そのたびに緊張したものです。
今ならLINEなどで簡単に本人と連絡とれますが、その頃は、まだ庶民の手に携帯電話が普及しておらず、携帯電話は会社経営者や一部のお金持ちのものでした。
もちろん、ポケベルの登場さえも数年先という時代でした。
そういう時代でしたが、それが当たり前だったので特に不便を感じることもなく、なんとか楽しくやっていたものです。
とはいえ、原チャリでは雨の日とか、不便なことだらけです。
そんな日々が過ぎていき、ある日ついに念願の愛車を手に入れることができたんです。
それがトヨタスターレット、その後、十年あまり乗り続けることとなった初めての愛車です。
この車には本当にお世話になりました。
この車のエピソードは、また次の機会にでも話していきたいと思います(*^_^*)
ではまた(^▽^)/